吾々はあらゆる人々に味覚と栄養と真心をもって
明日の活動力を養うよう
食事を楽しんで頂くため奉仕する
『船橋屋』という屋号は、明治のはじめ、初代髙橋兼次郎(安政5・1858年生まれ)が、船橋村(現:世田谷区船橋)から新宿にでてきたことに由来します。
当初、兼次郎は新宿の追分で商売をはじめ、実家から仕入れた芋を焼き芋として売るほか、馬車や牛車の行き交う街道で用立てられるもの―貸し車、わらじ、煙草などを商っていました。
角筈一丁目(現:新宿三丁目)の現在地に『焼き芋 船橋屋』として店を構えたのは明治19年、1886年のことです。